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【图】千与千寻片尾曲 一起看看神隐的世界

2015年09月28日 18:44

片尾曲“いつも何度でも”

动画片尾曲由《永远常在》(いつも何度でも)作曲家木村弓与诗人觉和歌子俩人完成。创作的契机为之前木村弓当时看了宫崎骏的《幽灵公主》后大为感动,便兴起了希望自己能为宫崎骏之后的动画演唱歌曲的念头,之后便自荐将自己曾作过的CD作品及自己翻唱的一些《幽灵公主》歌曲寄给宫崎骏。事后宫崎骏则回复给木村弓,若有机会的话、愿意让她在当时预定的下一回动画作品《绘描烟囱的玲》(煙突描きのリン)演唱歌曲。

当时《绘描烟囱的林》的剧情构想是:

某日东京发生大地震后、在一片变为废墟屋瓦的街道上中残存著一间澡堂。之后有一天从大阪市骑着自行车来到东京的少女学生画家“玲”(リン);为了想构思关于烟囱的图画,便向该澡堂屋的老板请求能暂时寄住于此的故事。

收到宫崎骏回复的木村弓在一个月后某天在准备个人地方演唱会时,突然想起了一段她觉得不错的旋律即几段歌词,并认为这段旋律有适合作为《绘描烟囱的林》主题歌的可能性。事后木村弓将该旋律即《绘描烟囱的玲》的剧情告诉友人觉和歌子时,觉和歌子当时听完木村弓歌曲的旋律及《绘描烟囱的玲》的剧情后,心中立刻浮绘出“一名女子登上烟囱后、望着一片废墟城镇的平地及远方的海洋”这样的场面,便以此灵感、即木村弓乐曲开头的字句写出一整套的歌词,完成了歌曲《永远常在》。

之后木村弓将《永远常在》寄给了宫崎骏、并向他建议这首歌适合放在《绘描烟囱的玲》当中,但该作品最后成为无法制作完成的流产动画而无后续。

事后宫崎骏在制作千与千寻时;发觉木村弓先前寄来的《永远常在》里一段歌词“若是一切归零开始,心境反而更加充实”(ゼロになるからだ 充たされてゆけ)颇能和千与千寻故事剧情有所共鸣,于是宫崎骏提议将《永远常在》作为千与千寻的片尾曲,取代了原先久石让完成的主题曲《回到那一日的河川》(あの日の川へ)。

歌词:

呼(よ)んでいる胸(むね)の どこか奥(おく)で 〖呼唤着的胸怀的某个深处〗

いつも心(こころ)踊(おど)る 梦(ゆめ)を见(み)たい 〖总是想做个激动人心的梦〗

悲(かな)しみは 数(かぞ)え切(き)れないけれど 〖尽管悲伤之情数也数不清〗

その向(む)こうで きっと あなたに会(あ)える 〖在去往之处一定与你相会〗

缲(く)り返(かえ)す 过(あやま)ちの その旅人(たびひと)は 〖那些反复出现过错的旅客〗

ただ青(あお)い空(そら)の 青(あお)さを知(し)る 〖至少知道蔚蓝天空的蓝色〗

果(は)てしなく道(みち)は 続(つづ)いて见(み)えるけれど 〖纵然看到无尽的道路绵延〗

この両手(りょうて)は 光(ひかり)を抱(いだ)ける 〖这一双手仍然将光明拥抱〗

さよならの时(とき)の 静(しず)かな胸(むね) 〖说再见的时候平静的胸怀〗

ゼロになる体(からだ)が 耳(みみ)を澄(す)ませる 〖空落落的身体让耳朵倾听〗

生(い)きている不思议(ふしぎ) 死(し)んでいく不思议(ふしぎ)〖生存以及死亡的不可思议〗

花(はな)も风(かぜ)も街(まち)も 皆(みんな)同(おな)じ 〖花与风与城市全都是一样〗

呼(よ)んでいる胸(むね)の どこか奥(おく)で 〖呼唤着的胸怀的某个深处〗

いつも何度(なんど)でも 梦(ゆめ)を描(えが)こう 〖总是一次又一次描绘梦想〗

悲(かな)しみの数(かず)を 言(い)い尽(つ)くすより 〖与其将悲伤种种倾诉而尽〗

同(おな)じ唇(くちびる)で そっと歌(うた)おう 〖不如用同一张嘴轻轻歌唱〗

闭(と)じてゆく 思(おも)い出(で)の その中(なか)にいつも 〖常常在渐渐封闭的回忆中〗

忘(わす)れたくない ささやきを闻(き)く 〖听到无法忘却的沙沙细语〗

粉々(こなごな)に砕(くだ)かれた 镜(かがみ)の上(うえ)にも 〖即使在支离破碎的镜子上〗

新(あたら)しい 景色(けしき)が 映(うつ)される 〖也有新的景色被映照出来〗

始(はじ)まりの朝(あさ)の 静(しず)かな窓(まど) 〖像初始的清晨下宁静的窗〗

ゼロになる体(からだ) 充(み)たされてゆけ 〖空落落的身体逐渐被充实〗

海(うみ)の彼方(かなた)には もう探(さが)さない 〖对于海的彼方不再去探寻〗

辉(かがや)く物(もの)は いつもここに 〖因为光辉之物一直在这里〗

私(わたし)の中(なか)に 见(み)つけられたから 〖在我的内心中已然被发现〗

文章来源:http://ent.72177.com/2015/0928/2084714.shtml